たこ焼きの歴史ってこんなに奥深いの!?知られざる進化の物語

たこ焼きといえば、ソースとマヨネーズ、青のりをかけたアツアツの丸い粉もん!

大阪府民のいわずと知れたソウルフードです!

でも、、、その裏には意外と知られていない面白い歴史と進化のストーリーが隠されています。

今回は「へえ〜」が止まらない!

たこ焼き誕生の秘密とその変遷をたっぷりご紹介します!

 

 

へえ〜①:たこ焼きの“原型”は、牛すじ入りだった!?

たこ焼きのルーツは1935年、大阪・西成区の会津屋(現存)で生まれた
「ラジオ焼き」

なんとこのラジオ焼き、タコではなく牛すじやこんにゃくが入っていたんです!

「ラジオ焼き」という名前は当時流行していたラジオというハイカラな響きからつけられたもので、

粉モン屋台の新星として注目されました。

 

 

へえ〜②:たこ焼きにタコが入ったのは偶然だった?

ラジオ焼きの店主・遠藤留吉さんが、常連客から「タコ入れたらどうや?」

と言われて試してみたのが、たこ焼き誕生の瞬間といわれています。
※所説あります

つまり、タコ入りが最初から定番だったわけではないみたい。

しかもタコは当時、意外と安価で手に入りやすい“庶民の魚介”

その食感の良さから定着し、今やたこ焼きの主役に。

 

 

へえ〜③:生地の正体は「明石焼き」の影響だった!?

たこ焼きのふわトロ生地、どこか上品な味がしませんか?

実はこれ、兵庫県・明石の「明石焼き(玉子焼き)」がモデルという説があります。

明石焼きは、タコと卵をたっぷり使ったやわらか〜い出汁風味の焼き物

大阪のラジオ焼き職人たちがこのスタイルに影響を受けて、

たこ焼きがふんわり・出汁入りになったという説が有力なようです。

 

 

へえ〜④:戦後〜昭和で一気に広がったのは“粉のチカラ”

たこ焼きが全国に広がり始めたのは、戦後の食糧難〜昭和中期。

当時、小麦粉がアメリカから大量に輸入され、“粉モン文化”が爆発的に拡大しました。

たこ焼きはその代表格で、安くて手軽でうまい三拍子が揃っていたため、

駄菓子屋・屋台で大ブームに。

1970年の大阪万博でも露店でたこ焼きが登場し、

「大阪=たこ焼き」のイメージが全国に浸透していきます。

 

 

へえ〜⑤:家庭用たこ焼き器の登場が“第2の革命”だった!

1980年代に登場した電気たこ焼き器が、たこ焼きを家庭の定番へと押し上げました。

特に関西圏では「一家に一台」が当たり前(本当です!)

週末はたこパ(たこ焼きパーティー)」という文化が生まれたのもこの頃です。

最近ではホットプレート一体型や、

チーズフォンデュ・アヒージョもできる進化系たこ焼き器も登場!

 

 

へえ〜⑥:たこ焼きが世界進出!?実は今、グローバル化中!

今やたこ焼きは日本だけの食べ物ではありません。

「TAKOYAKI」の名前でアメリカ・ヨーロッパ・アジア圏に進出し、

クールジャパンを代表するストリートフードとして海外でも人気急上昇。

タコを食べない地域では、エビやチーズ、ベジタブルたこ焼きなど、

アレンジ版が逆輸入されることも。

 

 

まとめ:たこ焼きは“進化する食文化

たこ焼きはただの軽食ではありません!

時代ごとの背景や食文化を反映しながら、

ラジオ焼き→たこ焼き→家庭料理→世界食へ

と進化してきた、今や本が世界に誇るストリートフードと言えます。

皆さんもぜひ、本場大阪に来た際はぜひタコ焼きを食べていってください!

 

おわり。

 

 

 

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