■ごあいさつ
皆さま、いかがお過ごしでしょうか。『ただ』のぐでぐでです。
梅雨のはずが一時的に梅雨前線が消滅するなど、異例の天候となって
いますがまだ梅雨明けはせず、梅雨前線は戻ってきます。
予定を立てるにしてもなかなか事前に計画を組み辛いところがある昨今
ですが、晴雨兼用の傘があるとどの天候でも活躍するので、この時期は
常に持ち歩くことをおススメします。鞄に入る折り畳み傘が良いですね。
さて、今回は繁華街の栄枯盛衰について触れて参ります。以前に京阪神
を取り上げていたことがあったのでこの地域で紹介いたします。
それでは、京都と大阪と神戸について次項以降で紹介いたします。
本記事へのお付き合いよろしくお願いいたします。
■【京都】西陣京極(京都市上京区)
今回のテーマは一方が栄えて一方が衰退する「栄える場所の遷移」なの
で、西陣京極のケースは厳密には当てはまりません。(一方の衰退)
後に語る大阪と神戸とは違う事情ですが、基本的に共通点があります。
栄えるには理由があり、その「栄える理由」が無くなる又は弱まることで
衰退が始まります。
西陣京極は基幹産業である西陣織が強みとなり、地域全体が経済的に潤っ
ていたこと、産業に関わる人々が集まることで人口密度が高く、複数の
鉄道が乗入れしてアクセスが良好だったことが栄えた理由です。
さらに栄えるということは人が集まるので、娯楽に関する需要があって
その需要を満たすもの(劇や映画や歓楽街)も揃えていました。
・西陣織で栄え、そして衰退
四条河原町に並ぶと言われていた西陣京極の衰退は基幹産業である西陣織
の需要が無くなったことです。和装から洋装へ時代が移る中、売れなくな
って経済規模の縮小と人口減少が始まります。映画産業の衰退と合わせて
4つあった鉄道路線全てが廃線になりました。
続けてアクセスが悪くなることで、そもそも人が来なくなるため、ますます
寂れるという流れです。しかしながら今の京都の交通事情を鑑みると廃線と
した鉄道(市電)が残っていたら混雑状況が今よりもマシなものとなって
いたかもしれません。
■【大阪】九条周辺(大阪市西区)
こちらも今回のテーマとは違い、一方が栄えて一方が衰退する「栄える場所
の遷移」なので、九条周辺のケースは厳密には当てはまりません。
ただし「港湾機能の遷移」や「行政機能の遷移」があって栄える理由を失い
廃れた点は事実なので紹介します。
九条はかつては「西の心斎橋」と称されるくらい活気があり、九条周辺に
は大阪府庁と大阪市役所が設置されて行政の中心地だったことがあります。
・大阪に居留地があった
1868年に大阪港(川口運上所)が開港されて明治以降の海外貿易拠点地
として役割を担うようになります。
ちなみに九条には外国人貿易商が住むための居留地が用意されました。
大阪に居る人で、この辺りの話を知っている方ってどれくらいいるのだろ
うか。
また、大阪市電(現在の大阪メトロの前身にあたる公共交通機関)で九条
(花園橋)を終点とする系統が最初に開業された点からもこの場所が重要
なものとして当時の人々に認識されていました。
衰退のきっかけは大阪府庁と大阪市役所の移転に伴い、繁華街は多くの顧客
を失ったことです。そして戦争による空襲被害と戦後物流の中心が舟運から
鉄道やトラックにへ変わりました。さらには大阪港の機能を今の場所(南港)
に移してから、人の流れが止まり街の活気が失われたためです。
そして、往時の賑わいが戻ることなく今に至ります。
・未来に発展の余地あり
余談となりますが、未来(2030年以降)の話として中之島線(京阪電気鉄道)
が九条まで延伸する計画が検討されているので、実現された場合は今の環境
は変わり、再び盛り返す可能性があります。
■【神戸】かつては三宮より栄えた新開地
今回のテーマとしてはこちらがメインになります。
明治時代末期から昭和初期あたりまで三宮を上回る神戸最大の繁華街として
繁栄していました。当時東京で有数の繁華街として栄えていた浅草と並び
「東の浅草」「西の新開地」と呼ばれるくらいでした。
新開地の繁華街が誕生したのは1905年でこの場所は湊川を埋め立てて作ら
れました。わざわざ埋め立てて川の流れを変えたのは治水対策のためです。
これにより水害に悩まされることがなくなり、埋め立て地を一から開発する
流れとなります。新たに開拓した土地なので、新開地という名が付けられま
した。
・新開地の最盛期
劇場や映画館が多数作られて、隣接する福原との相乗効果を期待できて瞬く
間に日本でも有数の繁華街に成長を遂げます。最盛期の新開地は人混みが凄く
真っ直ぐに歩けないほど、多くの人々で賑わっていたと伝えられています。
新聞社、電力会社、ガス会社などライフライン機能と鉄道網を集約させる
ことで都市機能の充実を試みました。これにより神戸市電と神戸電鉄の乗換
が可能なターミナル駅として神戸市内各地より人が集まる場所となり、神戸
タワーのようなシンボルも聳え立ち、新開地は一層繁栄することとなります。
・戦後も活気が戻ってくるように思われたが
戦後は行政窓口の効率化を目的に神戸市役所が移転して、ここからさらなる
繁栄がもたらされると、当時の多くの人々は疑っていなかったでしょう。
近くの海沿いには川崎重工業があり、新開地は神戸経済の中心地でした。
■【神戸】神戸経済の中心地が三宮へ移った理由
西陣京極や九条の時同様に「栄える理由」を失い衰退するのですが、何か特定
の理由1つで衰退したわけではなく、いくつもの複合的な理由があってのことと
なります。
・三宮が先に復興した
新開地の戦後復興が遅れてしまったため、急速な復興を成し遂げた三宮に役割
を渡す形となります。ではなぜ復興が遅れてしまったのか。それは戦後に新開地
の大部分は進駐軍に接収されてしまったためです。要は進駐軍が邪魔で復興を
迅速に進めることを出来なかった点です。そのため、三宮の台頭を防ぐことが
できませんでした。この理由が一番大きいです。
・福原の衰退と市役所の移転
他には新開地の発展は隣接する福原との相乗効果もあったためですが、戦後は
基幹産業ともいうべきものを法の施行もあって消失してしまいます。加えて
神戸市役所の三宮移転で多くの人の流れが新開地から三宮に変わります。
これによって名実ともに今の神戸の中心地が三宮になりますが、そのことを
市民にも伝わってしまいました。(新開地の時代は終わったと)
・鉄道網の再編に伴う動線変化
西陣京極のケースと共通ですが、娯楽の多様化に伴う映画産業の衰退と鉄道の
廃線も理由となります。神戸の場合は純粋な廃線ではなく、再構築(市電の廃止
と新たな鉄道の開業)とも言えます。これにより、神戸高速鉄道が開業します。
新開地駅は各私鉄(阪急電鉄・阪神電鉄・神戸電鉄・山陽電鉄)の乗入ができる
駅となることで神戸電鉄は湊川から新開地への乗入を果たし、阪急電鉄、阪神
電鉄、山陽電鉄の路線を跨ぐ形で大阪梅田と姫路間を直通運転できるようになる
など利便性が大きく向上します。
・便利すぎたのが仇に
ただ、あまりにも便利すぎました。地下のコンコース内で完結できる構造のため
新開地駅の改札を出る必要がありません。かつては湊川と新開地の間を徒歩移動
して繁華街で遊んでいた人々は新開地駅を降りることなく乗換して三宮などを目
指すことになります。
新開地は『地下で乗換するだけ』の駅になってしまいました。
・オイルショックと造船不況
後はさらなる追い打ちとなりますが、オイルショックの影響で新開地近くの大企業
が造船不況の影響で懐(財布)が冷え込んだことも新開地衰退の1つの理由となる
でしょう。
■【神戸】神戸市随一の繁華街である三宮
三宮は規模からすれば大阪の梅田や難波より小さいものとなります。しかしながら
三宮ならではの利点があります。
・人が多過ぎない
京都は昔からですが、大阪も今は万博の関係で人が多く行き交う状態です。
三宮(神戸)は異国情緒の街並みが特徴なため海外観光客の人気はイマイチです。
通常は誉め言葉ではありませんが、京都や大阪に比べるとオーバーツーリズムの
症状はマシと言えるでしょう。
・駅周辺で飲食店が充実している
これは大阪と京都も同様です。ただ<人が多過ぎない>の恩恵が大きく、ゆったり
としたスペースで食事ができます。大阪でも京都でもゆったりしたスペースで飲食
できるお店はありますが、料亭は別としても通常の飲食店は競争率が高く直近の日
程で自身の好みの店をセレクトするのは難しいです。三宮は比較的、直近でもお店
を選ぶ際の選択肢が多くあります。(時期によっては三宮でも混雑する時がある)
■今回は一例として5店舗を紹介いたします
【和ノ音 神戸三宮駅前店】
この日は事前予約なしで入ることが出来た店です。個室を使う場合は部屋ごとで
何名以上と決まりがあるので、人数に応じて個室を使うか決めましょう。
鍋が美味しくておススメですが、鍋以外にも菜物、鮮魚、揚物などがあります。
【魚介酒場 魚つばき 生田ロード店】
鮮魚が充実しているだけでなく、日本酒飲み放題というのが最大の特徴です。
各地域の日本酒が飲み放題で価格設定は本当に良心的です。日本酒好きなら無条件
で足を運んで良いでしょう。他には揚物、焼物、鶏や牛もあります。
【花美咲 三宮店】
全室掘り炬燵で個室完備のお店です。静かではありませんが一定のプライバシーは
保たれます。鍋が一押しながら、鮮魚、おつまみ、串カツなどの揚物、焼鳥と幅広く
品を揃えています。鍋が良いので、ここへ来るなら季節問わず鍋に挑戦ください。
【魚や三郎】
三宮のやや北(北野方面)へ向かいます。地魚を使った日替わり鮮魚の照り焼きなど
日替わりメニューが豊富です。造り、寿司以外に牛すじどて煮、肉豆腐、あなご白焼き
と一品はお酒と相性良く絶品と言えます。
【贔屓屋 三宮店】
総席数は250席と広いお店です。人数など諸条件ありますが、貸切も可能です。料理の
ジャンルは多岐に渡るので迷ったらここを選びましょう。そのうえでおススメするのは
小鉢類です。写真にあるようにどれも酒肴として抜群のクオリティとなります。
■栄枯盛衰は世の常
さて、【栄枯盛衰】栄える場所(繁華街)の遷移~変遷の理由【京阪神】について
いかがでしょうか。物事が栄えたり衰えたりするのは世の中の習わしと言います。
今回は京阪神の地域で解説しましたが、実は他地域も調べていたりします。
どこも似たり寄ったりな事情となりますが、概要は次の通りです。
・戦後などで焼け野原になると都市行政を見直しするため、栄える地が変わる。
・必然性があって、栄えるのも衰退するのも理由がある。
・人の集まる場所が栄える。
・大量輸送手段たる鉄道のあるなしは想像以上に大きい。
・行政の裁量が一番大事。
行政の裁量と民間企業の力が上手に機能すれば、都市の発展は可能ということが
改めて認識できました。しかしながら、言うは易く行うは難しです。
後は思った以上に鉄道の存在が重要であることです。それゆえ自治体が鉄道の
廃線に対して難色を示すのも理解できます。
廃線が近づく時は人の流れが減少するので、その辺りをフォローできれば道を
切り開くことができるとも言えます。まぁ、廃線の話が出る時点で「詰み」と
なるので、それまでに創意工夫するかが大切ですね。
文字数が4000文字を大幅に超えたのでここらで話を終えるとします。
今回の記事は分割して書くべきだったと今更ながら思いました。
■おせちだけじゃない。カニを筆頭にいい品あります
匠本舗ではカニを筆頭に様々な海産物を取扱いしております。
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強くおススメいたします。どうぞ素敵な食卓を楽しんでください。