【農業の革命】武士と貴族で異なる鎌倉時代の食料事情

■ごあいさつ
皆さま、いかがお過ごしでしょうか。『スタッフぐでぐで』です。
2023年の大河ドラマは「どうする家康」ですが、今回は昨年の
大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の舞台になった鎌倉時代の食料事情
について取扱いいたします。

この時代は政治の中心が貴族から武士に変わる歴史上の観点で
重要な局面となりますが、食糧事情も大きく変わっています。

1日に3回の食事やおにぎり、農業器具や二毛作といった当時の
ままではなく、形を変えて現在に伝わるものもございます。

 

■鎌倉時代に広まった二毛作
まずは簡単におさらいを。

二毛作とは、同じ田や畑で1年の間に2種類の異なる作物を栽培
する農法です。例として稲の収穫後、秋から小麦を育てるなど
農地を有効活用できるのがポイントになります。
夏を中心に栽培される稲などの主要作物を「表作」と、小麦の栽培
を「裏作」と呼びます。

ここまでは皆さまも学校で習った内容なので覚えている方もいる
でしょう。では、鎌倉時代に広まった理由まで知っている方は
どのくらいいるでしょうか。
知っている方は、雑学や歴史が好きな方かと思われます。

 

 

■農業技術の大幅な発展
農業に牛や馬を使い、金属製の鍬(クワ)や鋤(スキ)に代表される
農機具の存在が開墾や田んぼを深く耕すのに大いに役立ちました。
この時代は土を切る刃の部分だけ鉄製です。

今まで人力で行っていた農作業に、牛や馬の力を活用して広い範囲を
効果的に開墾できるようになりました。現在の私たちで例えるなら
機械を使って農作業を行うようなものです。

 

他には水を効率的に利用して、従来までは川の近くの湿地帯や平地で
行われてきた稲作が、水車やため池、水路などの灌漑設備を整えて
水田を広めていきました。これによって直蒔きから田植えに切り替わり
収穫量は大幅に増えていくことなりました。

 

 

■肥料の活用によって作物を育てやすくなった
牛や馬の糞を肥料とする他に、刈り取った草を敷く「刈敷」や草を燃や
した灰を使う「草木灰」が使われ、土地の生産力が上がったからです。

二毛作は生産量を増やすメリットはありますが、土地がやせ細り地中の
栄養分が減っていってしまうため、徐々に生産不良になっていき、果て
は荒れ地になるデメリットがあります。
土地の栄養は有限なのです。ですが、肥料を活用することで二毛作を
行いつつも、栄養分を維持することができるので、土地がやせ細ること
はありません。

 

■農地開墾や二毛作を頑張った理由
農業は当時最大の産業でした。武士は自分達の取り分を増やし、経済力を
強めるために生産高の向上に努めました。元々有していた武力に経済力が
加わり、規模が大きくなると平氏や源氏のような武士団が形成されます。

 

■鎌倉時代の貴族の食料事情
意外かもしれませんが、不健康な食生活です。
白米をおかゆにしたり、釜で炊いた柔らかいご飯を食べるのですが、胚芽
が取り除かれているので、栄養価は低くビタミンB1不足で起こる
脚気(かっけ)にかかりやすかったと言われています。
おかずは干物や塩漬けなどの保存食が中心でした。

ですが、一番の問題は『細かい作法やしきたりが決められていたため』
同じメニューが何日も続くことに伴い、栄養が偏りやすかったのが貴族
の食生活が不健康だった一因でしょう。

医学が未発達なこの時代は、細かい作法やしきたりを優先することも
あって、不健康な食生活を振り返ることができなかったようです。

 

■鎌倉時代の武士の食料事情
鎌倉時代の武士は質実剛健。武士は同じお米でも玄米を好んで食べて
いて、「強飯」(こわめし)と呼ばれておりました。
炊くのではなく蒸した玄米を主食としていたみたいです。

原則は、1日2回、1日あたり5合の米が基本でしたが、戦いなどで
体力が必要なときは1日3回に増やしていき、この習慣が日常化して
いき、現在の1日3食につながったとされています。

おかずは焼き塩、みそ、梅干しのいずれかと焼魚が基本です。
狩りなど現地調達で肉を食べることもありました。他に携帯食として
「屯食」(とんじき)」が生まれたのもこの頃です。「おにぎり」の
原型となるものです。

このように食糧事情に関しては武士の方が貴族よりも発展的で、体格
に差がでるようになりました。

 

 

■出先で食べる方法は色々工夫している
おにぎり(屯食)は、強飯を丸めて握ったものです。貴族の宴席で蒸した
もち米を握り固めたものが最初とされていますが、武士は主食の強飯で
作っていました。

握って焼いたものを、竹の皮で包んで持ち歩く方法の他に、戦のときに
外で食べることが多い武士達は、調理法や携帯食も合理的な工夫を凝ら
しています。

玄米をそのまま持ち歩き、布に包んだ玄米に水を掛けた状態で土に埋め
て、その上で焚き火をすると玄米も炊き上がる調理法を使って、ご飯を
食べていました。

武士にとっては体が資本なので、体力を付けるために食事はとても重要視
していました。戦中に食事で手間取っている暇はないので、効率よく食事
する方法が考えられてきたのでしょう。

 

■おわりに
さて、「【農業の革命】武士と貴族で異なる鎌倉時代の食料事情」について
いかがだったでしょうか。学校の授業で習うものとは異なる、食糧事情の
観点からみる鎌倉時代は違った趣があったと思われます。

胃袋が大きくないので、1日あたり5合の米は私にはとても食べられません。
一方で貴族の食生活の歴史から、体に悪い食事を続けると健康を害すること
がわかりました。

皆さまも食生活のバランスを見直し、健康的な生活をお過ごしください。
それでは次の記事でお会いしましょう。

 

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今後も皆さまの食卓を彩り、楽しい食事となりますように。数多くの皆さまへ笑顔
を届けられますように。それでは次の記事でお会いしましょう。